アスリートのような練習

まだ30代のころの録音が残っていたので聴いてみました、

音楽とはほど遠い演奏ですが、

メトロノームを使った苦闘を思い出しました、

今では不可能な練習を当時は当たり前にしてました、

毎日仕事が終わると部屋にこもってTVも見ずに練習した記憶があります、

当時の音をよく聞くと単音のアポヤンドの音はしっかり出ていて

もうこのころに自分の音色の基礎が固まっていたのだと感じました、

アポヤンド奏法というのは現代ギター奏法の基礎になる技術でターレガの時代に確定されたようです、

名器トーレスとアポヤンド奏法が大きなホールでも演奏できる礎になったのです、

私も入門したてのころはアポヤンド奏法を嫌というほど弾かされました、

ピアノの単音のような太くてしっかりした音を出すように練習しました、

今でも毎日アポヤンドの音階練習は欠かせませんが

昔ほど硬い音とは違った音色に変わりました、

音色が変わるというのは不確定要素も含めて不思議な現象なのです、

フォームを変えたりタッチを変えたりしても

不自然になるばかりで納得できないのですが、

先日書いたブランクの後や大きな人生のハードルを超えた時に生ずる現象なのです、

私の経験で象徴的なことがあります、

5年ぐらい前に突然脳梗塞に襲われ右半身不随になりました、

言語障害も伴い1年間のリハビリとなりました、

たしかターレガも脳梗塞のリハビリをしたと読んだことがあります、

左脳の機能障害が右手に影響を与え全く演奏できなくなりました、

ただ60歳を超えた年齢だったのと老子の思想のなるようにしかならないという、

ポジティブな考えに支えられ徐々に体調も回復に向かいました

1年もすると楽器も弾けるようになりました、

この時感じたのが音色の変化です病気の前とは違った音色に変化していました、

体調の影響もあるのかもしれませんが、

音楽自体が変化していました、

何かを無くせば何かを得られる道理です、

音色というのは抽象的なもので、教えることはできません、

セゴビアも自分の音は自分だけのものだと言っています、

カザルスが晩年、鳥の歌を弾いています、

その音色は神の音そのものです、

私も死ぬまでにあのような音色が出せたらと念じてやみません、

音色とは一生かかって出てくる内なる声なのかもしれません。

1975年の練習風景録音 ソル20の練習曲12番 楽器 河野ギター

クラシックギター
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