エピソード マチネの終わりに福山雅治、クラシックギターに初挑戦 主演映画メインテーマで演奏も担当 マチネの終わりに映画上映11月に公開されるようです 主人公のギタリストを蒔野聡史(福山雅治)が担当するそうで 演技指導は 福田進一さんです 本の内容はラブストーリーのようですが複雑です。 近年音楽家をテーマにしたドラマが流行っています、ほとんどはピアノですが 今回クラシックギターということで興味津々です 福山雅治が演奏...
エピソード 始めの出会い クラシックギターとの出会いは17歳のときでした、 友人とキャンプファイヤーをしていたとき友人が禁じられた遊びを弾きました、 今思えばそれは簡素な音だったと思います、 でも当時の私にとっては別世界の音を聞かされた思いで深く印象にのこりました、 クラシックギターとの出会いは17歳と書きましたが 実は小学生のころからギターと...
エピソード 上野文化会館小澤征爾ルドルフ・ゼルキンプレスリー 良い音楽に触れ体感することが自分の演奏の向上 よく亡くなった父親が聴いていたアルゼンチンタンゴを思い出す、 ラ・クンパルシータやエル・チョクロなどだが、 電蓄という機械でSP版を聴かされた、 年端もいかない子供の時にタンゴを口ずさんでいた、 洋楽に触れた幼児の思い出になる、 クラシック音楽に巡り会うまでは、しばらく期間があった、 ギターを弾き始めたのをきっかけに徐...
エピソード 蒲田 實先生のこと 東京医科歯科大学のプレゼンテーションのお手伝いで 蒲田先生のプレゼンテーションをお手伝いしたことがあります、 先生は若い頃、野球が上手でチームの写真などを拝見させていただきました、紅白歌合戦の審査委員も努められて、当時のビデオも見せてもらいました、 蒲田先生は長野県茅野市の諏訪中央病院院長として末期患者のお年寄りへの看...
エピソード スバルの富士重工と小澤征爾 スバルの富士重工と小澤征爾との交友は有名な話です、 小澤征爾がヨーロッパに武者修行に行く時支援してくれたのが音楽好きな富士重工の社長夫人でした自社製のラビットを進呈したそうです 小澤征爾はそのラビットに乗ってヨーロッパ中を走ったと伝記しています、 頭に日の丸のはちまきをして背中にギターを背負って走るのが約束だったようで...
エピソード タレガと同じ脳梗塞に 62歳になったとき、タレガと同じ脳梗塞に見舞われ 右半身不随の状態になってしまいました 急性脳梗塞で即入院でした、1ヵ月間の闘病で 運良く回復して自宅療養という事になりました タレガの時代はまだまだ医療が不足していたので病の再発を 防げなかったのかもしれませんが、僕の場合は完治して健常者と同じ 生活ができるようになりま...
エピソード マチネの終わりに見ました 映画を見ました。 主演の福山雅治のギタリストとしての演技は素敵ですよ 実演なのかCGなのかわかりませんが演奏の指使いも 不自然さは無くて秀演でした ケースを持ち歩くシーンもかっこよかった 僕はいつもケースは背中にしょっていましたが 今度はちゃんと手にもって歩いてみようと思います 演奏家の爪のアップシーンが多いのは映画監...
エピソード 10年間のブランク 42歳のころ交通事故にあい、左手の薬指を痛めてしまった、事故に会いというのは、オートバイに乗っていたとき後ろから追突されて、当て逃げされた悲惨な事故だった、幸い命に別状はなかったが、大事な指を大怪我してしまい、リハビリに何年もかかった、そして仕事上でも精神的にダメージがあって、ギターとはしばらく疎遠になった時期があった...
エピソード ギター教室 大沢一仁恩師との出会い 1969年ごろはちょうど学生運動が盛んでキャンバスも閉鎖になり先の見えない状況の時でした人恋しさに選んだカルチャーがギター教室でした1970年代はギターブームで沢山の教室が軒を並べていましたが、自宅に近いというだけの選択で先生の教室を選びました、音楽学生でもない私ですが先生は快く迎えてくれました、佐藤豊彦さんなどのそう...
エピソード 岡野さんとラグリマ 岡野信行さんは 昔の知人と言うかパソコンの恩師です 大昔1970代のころパソコンを教えてもらいました NEC PC9800のころ一緒にPCを学んだというか楽しんだ 間柄です温厚でとてもよい方です しばらくお会いしていませんがお元気なようです 岡野さんが居なかったら今の自分のIT人生はあり得なかったでしょう いろいろ思い...
エピソード 名人の作品 昔、DIYの店長をしていました 大工道具に鉋(カンナ)があります 日本独特の道具で、西洋式カンナとは まるで違います日本のカンナは引いて削りますが 西洋カンナは押して削ります なぜかというと? 西洋人は上半身が発達していて上腕の力で削ります 日本人は下半身が強いので体全体で作業します あと西洋式の建物は鏡面仕上げ(ピカ...
エピソード アンドレス・セゴビアとパイプタバコ 晩年の写真によくセゴビアがパイプをくわえている写真があります ダンヒルのパイプを愛用していたようです タレガも愛煙家だったようです このころのアーティストは皆、愛煙家で 特別珍しいことではなかったようです 私も愛煙家ですが5年前にドクターストップをかけられたので 今はVAPE(電子タバコパイプ)で我慢しています セゴビ...
エピソード 西城秀樹の脳梗塞 脳梗塞といえばタレガが晩年に侵された病です 、かくいう私も脳梗塞を患いました 奇跡的にも後遺症は残らなかったので アルハンブラでも弾けるように回復しました、 というものの再発性が高い病気なので気をつけてはいます、 脳梗塞の体験者から言うと私の場合急性でしたので 最初何が起こったのか混乱しました、 仕事中マウスが動かなく...
エピソード 伊丹十三とクラシックギター 伊丹十三と言えば映画監督で有名ですが デビューは遅く51歳の時に『お葬式』で映画監督としてデビューしました クラシックギターの愛好家としてもしられていました 伊丹十三記念館より 彼は音楽コンプレックスがあったようで楽器は21歳から始めたそうです わたくしは声を大にしていおう。楽器というものは愉しいものである、と。 そう...
エピソード 小原安正の教本 この本は1977年の教本になります あちこちボロボロで修復しながら使いました 一番気に入っている教本です 内容は簡単なものから難しい曲まであって 上級者でも使えます 演奏の基本練習が丁寧に書いてあります だれもが一度は弾く曲が多くあります 84pのAguadoのエチュードは今でもよく練習しています 左指をひろげる練習 ...
エピソード パブロ・カザルス 私が学んだマドリード国立音楽院の卒業生に有名なチェリスト、パブロ・カザルスがいます、彼の母親は今で言う教育ママで4歳からピアノを習わせました、11歳になり、やっとチェロを習い始めたそうです、面白いエピソードにカザルスが音楽学校に入学時の逸話です、カザルスは背が小さくて、なんと無く田舎臭い少年だったので、音楽学校の生徒か...
エピソード グルメな音楽家 カラヤン/ロッシーニ:序曲集「セビリアの理髪師」・「ウィリアム・テル」/他 [NAGAOKA CLASSIC CD] (<CD>) 価格:399円 (2018/6/19 17:19時点) 感想(0件) ロシーニといえば有名なワーグナーも崇拝した大作曲で今でも愛されるウイリアムテル序曲などがあります、彼は美食家で晩年は作...
エピソード 池田敏雄天才コンピュータ技師 富士通の伝説のレジェントとして有名なエンジニアです、国産コンピューターの研究者池田敏雄はクラシック音楽ファンとしても有名でした、高価なオーディーオ機器を借金してでも買ってベートーヴェンを毎日聴き彼の仕事場には常にオペラが流れていいたそうです、自分自身でも大声でアリアを歌っては仕事をし、会社に出社する前にベートベンを聴き...
エピソード 指の骨折! もう昔のことですが、交通事故で左手の薬指の大怪我をしたことがあります、運悪くひき逃げ事故で相手は逃げてしまいました、命に別状はなかったのですが、頭や手足の怪我をしてしまい病院通いになってしまいました、働き盛りの42歳の厄年でした、医者からはもう指は治らないかもしれませんが、生活には支障はないので安心してくださいと言われ...
エピソード アルバート・シュバイツァー NHKの100分 de名著 生きがいとは のテーマにも出てきたシュバイツァーですが、私も若い頃シュバイツァーの伝記を読んでハマったことがあります、その影響でゲーテもちゃんと読み直しました、音楽家シュバイツァーはオルガン奏者として有名です彼はよく寄付金を集めるため慈善演奏会をしていたそうです、音楽家としての成功を破棄して...
エピソード 図書館の演奏会 先日近所の図書館でギターを弾きました、30人ぐらいのお客さんが来ていました。 とんだハプニングが起こりまして、演奏会前に例によって爪が割れました、アロンアルファで修復してっと!でも、またまたハプニング演奏日の前日体温38度の原因不明の大不調、しかたがないので練習もしないで朝から安静ということで寝込んでしまいました、夜が...
エピソード 北島偉三夫先生(2) 北島先生から学んだこと、ギターを弾くにはいろいろな音楽を聴いて体験しながら音楽性を磨くことが大切だと教えられた、教えられるというより私生活の中で体感させてもらった、特に印象的だったのは指揮者のフルトヴェングラーだった先生のおすすめのLPを何度も聴いたそして、とうとうフルトヴェングラー病になった、フルトヴェングラー病とい...
エピソード 音楽をするということ 私の若い頃では、まだ楽器を弾くことは娯楽の領域としての価値観でしかなかった、学校の授業でも音楽は主要4科目と言われる科目から外されていた、男の子が音楽やバレーダンスなどをやるのは女々しいと言われることさえあった、大人たちも楽器の演奏などは遊びの一貫として軽く考えていた、昭和の世代の方は多かれ少なかれそのような経験をして...